(及♀×岩♀:本文より一部抜粋)
※多少の嘔吐描写を含みます

「岩ちゃんは、ほんとにこういうのダメだよねえ」
仕事終わりロッカールームにもどって話しかければ、ひとりでパイプイスに座っていた岩ちゃんは疲れた顔で俺を振り返った。
「今日、結局ホール帰ってこなかったね?」
「ん、……溝口さん、今日はもう出ンなって」
「ああ、そうなんだ、」
あーあ、さっさと辞めちゃえばいいのに。歌うように軽く言って、俺はしゅるりとキャバドレスの紐を外す。
あからさまにむっとしたようすだったけれど、岩ちゃんは何も言わなかった。自分が今の仕事に合ってないことは誰より自覚しているからだろう。
幼馴染はため息をついてドレスを脱ぐ。紺地の下の裸身は俺より筋肉質、けれど胸もお尻もむっちりとしていてボーイッシュな顔とは正反対ないやらしさだ。女子高生のころから大きいなあと思って見ていたけどこのごろますます膨らんだような気がする。
こんな商売なんだからそれだって武器にしてしまえばいいのに、本人は客に触られやすくて嫌だと嘆いているのだから皮肉な話である。

「今日どっか寄って帰る?」
ロッカーを閉めた岩ちゃんは振り返ったけれど、俺はううんと首を横に振る。
「お客さんにご飯奢ってもらう約束してるの。岩ちゃん先帰って」
「はあ? またかよおまえ、太ンぞ」
「いーもん、そのあと運動するからあ」
「っ、……」
文句を言いかけて、けれど初心な岩ちゃんはそれ以上言えなかったみたいだった。顔は真っ赤で口はぱくぱく、まるでキンギョみたいだ。キンギョみたいに静かだったらいいのにと思いながらマイクロミニを履く。
お化粧を軽く直してそれじゃあね岩ちゃん、わざとらしく肩をたたけば岩ちゃんは真っ赤な顔で俺をにらんでいた。

(……本当に、早く辞めちゃえばいいのにな)
店の裏、待ち合わせたお客さんの腕をとりながらそう思った。
夜の仕事をするには、岩ちゃんはすこし潔癖すぎるのだ。さっきみたいな冗談も交わせないくせに嬢なんてできるわけがないし、太陽の下で背筋伸ばしてOLさんでもやってるほうがずうっと似合っている。
(それに、俺だって、いつまで岩ちゃんが必要なわけじゃないんだから)

実際のところを言えば、それが本音だった。
子どものころから世話焼きで、岩ちゃんはなにかといえばすぐ俺の面倒を見たがるのだ。
「とおる、ちゃんとカサもったか。今日ゆうがたから雨だぞ」
「明日早いんだから、今日は夜ふかししちゃダメだからな」
「オイそんなカッコで座んな、パンツ見えるだろ」
それでも子どものころはべつによかった。俺はあまえんぼだったし、岩ちゃんの面倒見がいいのにつけこんで宿題見せてもらったり、忘れた体育着貸してもらったりいろいろしてた。

でも、俺だってもういい大人なのだ。
傘がなかったらコンビニでワンコインのビニ傘を買えるし、夜はいろんな楽しいことができる時間で、パンツだってじょうずに見せるタイミングをちゃんと知っている。
お店でだって、失敗ばかりの岩ちゃんより俺のほうがずうっとたくさん売上を稼いでいるのだ。いつまでも岩ちゃんに面倒見られてばかりの「とおる」じゃない。
女としては、俺のほうが岩ちゃんよりも上なんだ。
そんなことをきっと内心でわかっているくせにこの仕事をつづけている、いつまでも俺より上でいようとしている岩ちゃんが鬱陶しかった。
その日はだから二軒目のお店でガブガブ飲んで久々にバッタリと倒れた。むしゃくしゃして調子に乗って、お客さんのお金でいっぱい飲んで、お客さんのお金でマンションに帰った。
酔っ払いのゾンビみたいにふらふらで帰ったら玄関のドアにおもいっきり頭をぶつけて、物音におどろいた岩ちゃんが起きてきてうるさかった。うるさいなあって思いながら廊下とトイレで吐いた。お寿司もお酒ももったいないって思ったけど、全部お客さんの奢りなんだからべつにいいのかもしれない。

岩ちゃんは呆れた顔してティッシュで床を拭いていて、俺は機嫌がわるかったからそれがすごく癪だった。
「いいよ、いあちゃん、おれあとでそうじすゆから、」
回らない舌でなんとかそう言ったのに、岩ちゃんは寝巻のまま黙ってリセッシュを噴いてた。心底俺に呆れ果ててるみたいだった。俺に起こされて眠いくせに健気にそんなことしちゃうさまがそのときはすごくむかついて、ティッシュの箱をとって自分でトイレのタイルをごしごし拭いた。そうしてその上からまたウエッと吐いた。
「……トオル、もういい俺がやるから」
頭の上から言われたその一言で、たぶん、決壊したとおもう。
俺は岩ちゃんを詰った。腹の底に溜まっていた言葉を、ゲロを吐くみたいに吐きだした。
「岩ちゃんなんか、いなくたって全然平気なんだから」
「いつまでも俺のこと下に見ないでよ」
「俺のほうが、お店ではずっとずっと人気なんだ」
えずきながらつかえながら、そんな言葉で岩ちゃんをぶった。岩ちゃんは一瞬なにかを言いたそうな顔をしたけれど、けれどそれから黙って目を伏せて、受け止めるみたいに俺の言葉を聞いていた。
そんなようすにますます腹が立って俺は子犬みたいにキャンキャンと吠えた。たくさん吠えて、吐いて、泣いて、たぶん最後は床に突っ伏して寝たと思う。
つぎに気がついたときには、自分のベッドに横になっていた。たぶん、岩ちゃんが運んでパジャマに着替えさせたんだろう。(お節介焼きめ)
ごろんと寝返りを打つといつのまに日に干したのか布団カバーはお日さまのいい匂いがして、きっとこれは岩ちゃんが俺のために干してくれた布団で、ばかみたいだと思って俺はすこしだけまた泣いて、眠りについた。


「及川、遅れるぞ」
次の日の夕方、ドアの向こうで言っているのは聞こえたけど聞こえないふりをした。
岩ちゃんといつもの山手線に乗るような気分じゃない。今出ないとタクシーを拾うはめになるけど、今日くらいはいいやって布団をかぶり直した。
岩ちゃんはすこしのあいだ俺を待っていたみたいだったけれど、やがて諦めて鍵を閉める音が聞こえた。
ガチャリ、……ガチャ。どこか寂しげな音に耳をふさいで二度寝をしようとして、けっきょく出来なくて、しかたなくのろのろ起き出して支度する。
テーブルには岩ちゃんの作ったお味噌汁と焼き魚がのっていた。
(お魚は匂いがつくからイヤっていつも言ってるのに)
シカトして冷蔵庫を開ける。レタスとビールだけ。もういいや、今日は食べないで行こうと部屋を出る。
近くの駅でタクシーを拾って、二十分も走ればお店に着くからそのあとてきとうに食べればいい。
……いい、はずだった。その日の夜はどうも途中で事故があったとかでひどく混んでいて、いつもなら二十分で済むところを三十分経っても、四十分経っても渋滞は全然進まなかったのだ。
回り道できないんですかって聞いたけれど運転手のおじさんはくたびれたように首を振るだけ、しかたなくお店に遅刻の電話をかける羽目になる。当日の遅刻はお給料へらされちゃうからサイアクだ。
けっきょく一時間近くかかってイライラしながらようやくお店にたどり着くと、しかし、お店ではもっとサイアクな事態が俺を待っていた。

岩ちゃんが、俺の一番のお得意さんに手を上げたのだ。
店に着いたときにはもう遅かった。四十代半ばの金遣いのいい専務は唖然として、ひっぱたかれた自分の頬に手をやっているところだった。
ホールに入るなり店の空気がおかしいのでその辺の女の子に短く聞いて、俺は未だ肩を震わせている岩ちゃんをぶった。目を赤くした岩ちゃんは俺を見上げてなにか口を開こうとしたが、それでもかまわず平手で打った。
言い訳なんて聞きたくない。どうせ昨日みたいなどうでもいいことか、あるいはともすれば俺への醜い嫉妬だろう。そんな理由でこんなことをしたんだろう。
「……岩ちゃん、もうやめて。こんなことするならさっさと出て行って」
低く小さく、岩ちゃんにしか聞こえないようにひそめて吐き出すと幼馴染は目を見開き、唇を震わせて、それから黙ってお店をひとり出て行く。
すべてを静観していたホールは言葉をなくしていたけれど、お騒がせしてごめんなさいとあやまって俺がそれぞれのテーブルに一本ずつお酒を送るとほっとしたようにガヤガヤといつものざわめきをとりもどしていった。
お得意の専務には湿布を一枚貼ってやり、今日はとびきりサービスをしてやるつもりだったが、しかし彼はなぜか青い顔をしたまま今日は帰るという。
「ホントにごめんね、また来てね」
店の前まで送って最後まで腕に抱きついてそう言ったけれど、あの顔色を見ると次があるかどうかはわからない。まったく全部岩ちゃんのせいだ。

ふてくされながらホールにもどると、おいかわ、入り口の近くで小さく俺の本名を呼ぶ声がある。
顔を上げると同僚のマッキーだ。お店では俺より先輩だけど同い年の女の子で、初めのうちは喋るほうではなかったけれど、気に入らないお局のババアをすこしまえ一緒に追い出してからは仲よしになった。
「マッキー、どうかしたの?」
受付の脇に立っていたマッキーに近づきたずねると、マッキーはちらりと辺りを見回して俺の耳に口をよせる。
「あのさ、あいつのことなんだけど、」
「ハジメちゃん? ああうん、ごめんね迷惑かけちゃって。お店にはちゃんと謝って辞めるように俺から言っておくから、」
「あ、いやそうじゃなくってさ、」
「え?」
すこし気まずそうな顔をしてマッキーは言いよどむ。
「なあに? べつに気にしなくていいよ」
うながせば、その重たい口はようやくゆっくりと持ち上がる。
「俺、さっき近くの席だからたまたま聞いちゃったんだけど、その、」